「統一が正義?それとも多様こそ未来?」
グローバリズム的「世界をひとつのルールにまとめる」動きの中で繰り広げてきた“効率と統一”の価値観。
一方で、Web5やDID(分散型ID)が描くのは“多様と選択”の世界観です。
スピードと便利さを優先するほど、私たちの自由は削られていないか?
ローカルの文化や個人の主権は、本当に守られているのか?
この記事では、グローバリズム vs Web5思想という対比を通して、
「自分はどちらの軸を選ぶのか」を整理できるヒントをまとめてみました。
統一の美徳:効率・スピード・安全基準(でも監視と表裏一体)
「統一」には、生活を便利にする力があります。
わざわざ説明されなくても、私たちは日常生活の中で、そのメリットを無意識のうちに感じていると思います。
• マイナンバーカード
健康保険証や証明書を一枚にまとめられる。病院や役所で「複数のカードを出す手間」がなくなる。
• 交通ICカード(Suica・ICOCA)
全国どこでもピッとタッチすれば電車やバスに乗れる。地域ごとに切符を買う必要はない。
• LINEの既読機能
世界中どこにいても「相手が見たかどうか」がすぐわかる。誤解や行き違いを減らせる。
これらは「統一された仕組み」があるからこそ、効率やスピードが生まれているものです。
一度体験すると「もう戻れない」と思うくらい便利さを実感します。
もうすでに生活の中に溶け込んでいるのがその証拠だと思います。
でも、その裏側には必ず “監視と制御” の影があるのも頭の片隅に置いておきたいものです。
• マイナカードは「どこで病院に行ったか」「どんな薬をもらったか」まで記録が一元化される。
• 交通ICは「何時にどの駅で乗り降りしたか」が全て履歴として残る。
• LINEの既読は「すぐ返さないと不安に思われる」という、新しいストレスにもつながる。
つまり統一するということは、効率や安心を与えると同時に、 「個人の自由や選択肢を削っていく力」 も持っているんです。
表の顔は“便利と安心”、裏の顔は“監視と従属”。
この二面性を理解しないまま「統一は良いこと」とだけ受け取ると、気づかないうちに自由を差し出してしまう流れになってしまうかもしれません。
多様の美徳:自由・ローカル文化・個人主権(でも自己責任が伴う)
一方で「多様」であることには、統一にはない豊かさがあります。
世界のどこへ行っても同じルール、同じやり方じゃなくて、場所ごと・人ごとに違うやり方があるからこそ面白いなと感じます。
• 方言や地域文化
何にでもオチを求め、失敗すら笑いのネタに変えて話す関西人、「なんくるないさ〜」で励ます沖縄人。
言葉の違いはちょっと不便だけど、その土地の空気や温度感を伝えてくれる魅力になっています。
• 商店街の個人店
全国チェーンのコンビニより品揃えは偏ってるかもしれない。でも「ここでしか食べられない味」「店主との会話」など昔ながらの繋がりや温もりがあるからこそ足を運ぶ人がいるのも事実です。
• 自由な働き方
正社員の枠にハマらず、フリーランスや副業で自分のリズムを大事にする生き方。社会保障や安定という面では弱いかもしれないけど、自分の裁量で人生を選び直せる自由さがある。
多様さは、「同じじゃなくてもいい」からこそ生まれる自由や創造性を生みます。
でももちろん、ここにも裏側があります。
統一の仕組みが守ってくれる安心がないぶん、自己責任が大きくなるんです。
• 方言や文化は「標準語が分からない人は不便」と見なされることもある。
• 個人店は大手のように補償が整っていないから、当たり外れもある。
• フリーランスは収入や保険を自分で全部管理しなきゃいけない。
つまり「多様の美徳」は、自由や個性を楽しめる反面、その結果に責任を取る覚悟がいるということです。
守られた安心感よりも、自分で選んで自分で舵を切ることを優先する姿勢が問われます。
Web5思想=境界を尊重しつつ繋がる(多様 × 相互運用で“選べる”世界)
「統一」は効率を生むけど、監視や画一化のリスクがある。
「多様」は自由を生むけど、自己責任や分断がつきまとう。
じゃあ、私たちはどちらを選ぶべきなんでしょうか?
ここで登場するのが Web5の思想 です。
Web5はシンプルに言えば、
**「違うままでいい。でも、必要なときはちゃんと繋がれる」**という考え方です。
• 境界を尊重する
地域や個人の文化、価値観はそのまま残す。
「標準に合わせなさい」ではなく「あなたのやり方でいいよ」という前提です。
• 相互運用で繋がる
ただし、別々のやり方でも共通の“橋”があるから、やり取りはスムーズです。
例えるなら、日本語と英語を話す人が、翻訳アプリを通じて自然に会話できるような感じ。
たとえば──
AさんはLINEでやり取りしたい。
Bさんはメールが好き。
Cさんは新しい分散型SNSしか使わない。
今までは「みんな同じアプリを使わないと繋がれない」世界でした。
でもWeb5的な仕組みがあれば、それぞれが好きなアプリを使いながら、同じID(DID)で繋がれる。
無理に一つのプラットフォームに統一する必要がなくなるんです。
要するに、
• 「違いを消す」のが統一
• 「違いをそのままにする」のが多様
• 「違いを尊重したまま繋ぐ」のがWeb5
という認識になります。
ここでweb5という選択肢が入れば
さらに「選べる」という自由が生まれる。
「あなたが何を選んでも、それがちゃんと機能する世界」が、もうすでにできています。
日本的視点:八百万(やおよろず)的多様性とコミュニティDID
日本には古くから、**「八百万(やおよろず)の神」**という考え方があります。
山にも川にも、石ころや木にも、あらゆるものに神が宿ると信じるという信仰のことです。
つまり、「全部が違っていて、それぞれに意味がある」という世界観です。
これって実は、現代でいう“多様性”よりも、もっと柔軟で温かい思想なんじゃないかと思うんです。
• 太陽の神がいれば、雨の神もいる
• 豊作をもたらす神もいれば、荒ぶる災いの神もいる
• どちらが正しいかではなく、「それぞれに役割がある」と受け入れてきた歴史が日本にはある。
この「違いを抱き合わせて共存する」感覚は、Web5やDIDの目指す姿にとても近いものがあります。
たとえば、コミュニティごとのDID を考えてみると…
• Aの町では「顔パスで通れる」文化
• Bの村では「グループLINEで本人確認する」仕組み
• Cのグループでは「暗号鍵」で信頼を担保する
従来なら「どれか一つを選んで、それに統一して標準化」する方向に進みがちでした。
でも、Web5では違うままでも繋がれるように設計されているんです。
つまり「それぞれの神様を否定せずに、橋をかけて共存させる」って、昔々からあった考えってWeb5の思想と同じだと言えます。
日本的に言えば、
• 「みんな同じ」を強いるんじゃなく
• 「それぞれの神様を祀りながら共に暮らす」
そんな世界観を、テクノロジーで支えようとしているのがDIDです。
だからWeb5は決して海外からの“新しい考え”というよりも、
むしろ日本人がもともと持っていた「八百万的な感覚」に近いのかもしれません。
まとめ
結局のところ、私たちが生きる世界に「正解」なんてひとつもないのかもしれません。
統一が安心をくれる瞬間もあれば、多様だからこそ救われる場面もある。
大事なのは、そのどちらかを盲目的に選ぶことではなくて、
「今の自分にはどっちがしっくりくるか」を選び直せる自由を持つこと。
Web5やDIDが目指しているのは、まさにその“余白”です。
違いを尊重したままつながれること。境界を守りながら共存できること。
「みんな同じじゃなくていい」
「そのままの自分で、選べばいい」
——そんな当たり前の安心を、次の時代はちゃんと技術で支えてくれる。
そう思えると新しいテクノロジーも未知の世界で遠いものではなく、未来が楽しみになりませんか?

