日常の中で、仕事や活動を続けている人が、ある時点で急に止まる場面が観測される。
能力が落ちた様子はなく、環境が極端に変わったわけでもない。
それまでと同じ作業を、同じようにこなしていただけに見える。
止まる直前には、共通した発言が並ぶことが多い。
「何をやっても手応えがない」
「正解が分からない」
「判断を間違えた気がする」
その後、活動量が減り、発信が止まり、やがて話題に上らなくなる。
この現象の周辺には、繰り返し見られる構造がある。
作業や行動が、常に外部からの指示や期待に接続されている状態。
評価、成果、反応といった外側の基準が、判断の起点になっている。
行動の理由が、
「求められているから」
「役割だから」
「成果を出さないといけないから」
という形で整理されている場合、判断は常に先に進む方向だけを向く。
止まることは選択肢に含まれず、
立ち位置を確認する余白も生まれにくい。
多くの場合、この状態は本人にとって自然で、問題として意識されにくい。
忙しさや責任感として処理され、構造としては見落とされやすい。
疲労が表に出る頃には、
「続けられない自分」
「耐えられなかった自分」
という形で、個人の問題に変換される。
しかし観測されるのは、個人の弱さではなく、
判断を持たないまま動き続ける配置が、長期間維持されている状態。
この構造の中では、
止まること=失敗
考え直すこと=後退
と扱われやすく、
結果として動き続ける以外の選択が消えていく。
疲弊は、急激に起きるというより、
選択肢が少しずつ減っていく過程で、静かに進行しているように見える。
