メディア側に立っている人間は、実在するのか

売れない行動を止め、
前提条件と立ち位置を修正し、
売上を取り直すための設計書。
♡観測

最近、「個人がメディアを持つ」という言葉はよく見かける。
ブログ、SNS、動画配信など、発信の手段自体は十分に整っている。

一方で、発信している人の多くは、
何かを説明していたり、
何かを証明していたり、
何かに反応していたりする。

発言の内容よりも、
「誰に向けているか」や
「どの立場から話しているか」が、
常に可視化されている状態が続いている。

そこには、繰り返し現れる構造がある。

発信する=前に出ること、
価値を示す=説得すること、
存在する=反応を得ること、
という前提が、ほとんど疑われていない。

そのため、
発信していない時間や、
反応が返ってこない状態は、
空白や停滞として扱われやすい。

しかし実際には、
何も主張していない人、
何も売っていない人、
何も説明していない人が、
一定の距離を保ったまま、
場に存在し続けているケースも観測される。

その人たちは、
前に出ていないが、消えてもいない。
意見を提示していないが、否定もしていない。
役割を名乗っていないが、場から外れてもいない。

多くの場合、
その存在は話題にならない。
評価もされにくく、
数字としても測定されにくい。

それでも、
時間が経ったあとに名前が思い出されたり、
距離を置いたまま関係が残っていたりする。

この状態は、
発信が成功しているかどうか、
影響力があるかどうか、
という軸では整理されない。

構造として見たとき、
それは「動いていない」のではなく、
「立ち位置が固定されている」状態に近い。

前に進めていないように見えて、
場からズレてもいない。
中心にいないが、周縁にも落ちていない。

その位置に立っている人は、
目立たない。
説明もしない。
主張も残さない。

ただ、一定の距離から、
場の変化を受け取り続けている。