映画『愚か者の身分』について⑧
こんにちは、ジャリです。
終盤に向けて、物語は静かな場面を配置する。
動きは抑えられ、視線や間の取り方が強調される。
その場にいる人物は、大きな出来事を経験している。
ただし、その出来事を言語化する描写は置かれない。
喪失についての理解や整理が進んだ様子も示されない。
人物の発言は少ない。
状況説明や感情の確認は行われず、行動のみが続く。
喪失を自覚していることを示す合図は見当たらない。
一方で、場面全体には重さが配置されている。
光の使い方、距離の取り方、時間の引き延ばしが重なる。
余韻として処理される空気が、周囲に広がっていく。
この重さは、人物の内面から発生していない。
外部の演出によって付与されている。
人物の状態と、場面の重さが一致していない。
喪失の影響は、行動制限として反映されていない。
日常的な動作は継続され、進行は滞らない。
不可逆な変化を示す要素は保持されない。
それでも終盤は、重い余韻として処理される。
観る側に向けて、静止した時間が割り当てられる。
その時間は、人物の理解とは接続されない。
結果として、喪失を自覚していない人物と、
重い余韻を背負わされた場面が同時に存在する。
両者のずれは調整されないまま、物語は終点に向かう。
