ある時期、「億り人」という言葉が頻繁に使われていた。
資産が増えた人の存在が、数字と一緒に語られ、メディアでも繰り返し取り上げられていた。
その後、同じ言葉を見かける機会は減っている。
以前は名前や実績が語られていた人たちが、話題に上がらなくなる場面も観測される。
消えたというより、
表に出てこなくなった、という状態に近い。
この動きには、似た構造が繰り返し現れている。
増えた資産や成果は、
常に「次の判断」や「次の選択」と結びつけられてきた。
増えた理由、増えた過程、次に何をするか。
語られるたびに、判断は外に置かれていった。
その結果、
動いていない時間や、発言していない期間は、
空白として扱われやすくなっていく。
多くの場合、
数字が語られなくなった瞬間に、
存在そのものが見えにくくなる。
ここで見落とされやすいのは、
資産の増減ではなく、
「どこに立って判断していたか」という点。
判断が常に外部の状況や期待に紐づいていると、
その前提が変わったとき、
立っている場所ごと揺れる。
結果として、
前に出る理由も、語る材料も、
自然と失われていく。
観測されるのは、
失敗や転落ではなく、
場から距離が生まれていく過程。
目立たなくなり、
説明されなくなり、
比較の対象から外れていく。
それは消失というより、
位置が合わなくなった状態に近い。
