なぜAI時代にメディア側が増えるのか

売れない行動を止め、
前提条件と立ち位置を修正し、
売上を取り直すための設計書。
♡観測

最近、個人が文章や記録を残す場が増えている、という話をよく耳にする。
SNSだけでなく、更新頻度の低いブログや、反応を求めていない記録のような媒体も含まれている。

それらの多くは、情報を早く届けることや、分かりやすくまとめることを目的にしていない。
出来事を説明せず、そのまま置いているような形が目立つ。

同時に、AIを使って文章を生成したり、判断の補助をさせたりする行為も日常化している。
問いを投げれば、一定の整理された言葉が返ってくる環境が整っている。

この二つの動きは、別々に起きているようで、重なって見える部分がある。

観測される構造として、
判断や整理が「外部で完結する」場面が増えている一方で、
出来事を判断せずに置いておく場所が、静かに残り始めている。

AIは、条件が与えられたときに、最適化された返答を返す。
一方で、条件が定まっていない状態や、判断を保留したままの記録は、扱わない。

そのため、
・結論を出さない文章
・意味づけをしない記録
・評価を含まない観測
は、AIの処理対象から少し外れた位置に置かれる。

多くの人が見落としやすいのは、
「発信すること」と「メディアに立つこと」が、同じではないという点かもしれない。

発信は、何かを伝える行為として完結する。
一方、メディアとして存在する状態は、
判断が行き交う前の場所を保ち続けることに近い。

その場所では、
反応がなくても成立し、
更新されなくても消えず、
誰かの判断を代行しない。

AIが答えを出す役割を引き受けるほど、
答えが出る前の空白や、判断が置かれる前の位置は、別の場所として残る。

その結果として、
前に出ないが、閉じてもいない。
教えないが、遮断もしない。
そうした距離感の媒体が、増えているように見える。

これは、選ばれているというより、
必要以上に触れられない状態が、自然に維持されているようにも見える。

静かに置かれたまま、
判断の手前で留まっている場所が、
AI時代の中で、ひとつの層として浮かび上がっている。