ミニマリストとコレクターの幸せ。
こんにちは、ジャリです。
ある時期から、
「ミニマリスト」という言葉が、
生き方の選択肢というより、
一つの理想像として語られる場面が増えています。
持たないこと。
減らすこと。
管理しないこと。
それらは、
軽さや自由さと結びつけられて説明されることが多いです。
一方で、
好きなものを集めている人たちの発信も、
同じ時間軸の中で増えています。
本や服、雑貨、ぬいぐるみ、道具。
数は減らさず、
むしろ「揃っていること」「並んでいること」が、
そのまま生活の一部として置かれています。
両者に共通しているのは、
どちらも「幸せ」という言葉で語られている点です。
ただし、
その「幸せ」が指している位置は一致していません。
ミニマリズムでは、
管理や選択の負荷が減っている状態が前提として置かれる。
集める生活では、
手に取れる実感や、
好きなものに囲まれている状態が残っています。
どちらも、
結果として「満たされている」と表現されるが、
満たされ方の基準は共有されていません。
ここで観測されるのは、
生き方の優劣ではなく、
前提条件の違いです。
時間に余白がある状態。
空間に余白がある状態。
感情に余白がある状態。
どの余白を重視するかによって、
同じ行為が
「自由」にも
「不自由」にも配置されています。
多くの場合、
ミニマリズムは
「減らすことで軽くなる」という前提で語られる。
一方、
集める行為は
「執着」「管理負担」として説明されやすいです。
しかし実際には、
集めている人の生活が、
必ずしも重くなっているとは限らないです。
減らすことで楽になる人と、
揃っていることで安定する人が、
同時に存在している。
ここでは、
どちらが正しいかは扱われていません。
ただ、
「幸せ」という言葉が、
異なる構造の上で
同時に使われている状態が残っているだけです。
そのズレが、
現在観測されている状態です。

