本当は臆病な性格なのに…。
サメはなぜ「怖い存在」として認識されているのか?
こんにちは、ジャリです。
サメ好きだからこの問題について気になっていました。
本来の性質とのズレを、少し距離を取って見てみます。
いま見えてきていること(観測)
一般的に、サメは
「危険」「人を襲う」「恐ろしい海の生き物」
といったイメージで語られることが多いように感じます。
映画やニュース、図鑑、娯楽作品の中でも、
その印象は繰り返し強調されてきました。
一方で、生態学の視点から見ると、
多くのサメは人間を積極的に襲う存在ではなく、
刺激や誤認がなければ距離を取る個体が多い
とも言われています。
臆病だったり、慎重な行動特性を持つ種も、
決して少なくありません。
ここではまず、
「怖い存在として広く認識されている」という社会的な事実と、
「実際の行動特性には幅がある」という情報が、
同時に存在している状況そのものを、観測点として置いてみます。
その認識を支えてきた前提条件
このイメージが長く成立してきた背景には、
いくつかの前提条件があったように見えます。
・人間に危害を加える可能性のある存在は、記憶に残りやすいこと
・海中という「見えない環境」への不安が、想像を膨らませやすいこと
・例外的な事故や出来事が、全体像として語られやすいこと
・映像や物語の中では、分かりやすい脅威が役割を持ちやすいこと
こうした前提のもとでは、
「人を襲うかもしれない存在」
「鋭い歯を持つ大型の魚」
といった要素が、
サメという生き物全体を説明する軸として
使われやすくなっていたのかもしれません。
個々の行動や生態よりも、
印象としての分かりやすさが優先される構造が、
そこにはあったようにも感じられます。
前提の変化によって生まれているズレ
近年では、研究やデータの蓄積によって、
サメと人間の関係性が、より具体的に語られるようになってきました。
・事故の多くは誤認や偶発的な接触であること
・多くの種が人間を避ける行動を取ること
・年間の人身事故件数は、一般的な印象よりずっと少ないこと
こうした情報が共有される中で、
「常に攻撃的である」という前提と、
「実際の行動傾向」とのあいだに、
少しずつズレが生まれているように見えます。
それでも、
一度強く形成されたイメージは、
すぐには書き換えられません。
そのため、
怖い存在としての認識だけが、
今も静かに残り続けているのかもしれません。
ここには、
前提条件が変わっても、
認識の更新には時間差が生じる、
という構造が見えてきます。
定点に戻って、静かに整理してみる
少し距離を取って眺めてみると、
サメが「怖い存在」として認識されている理由は、
サメそのものの性質だけでは説明しきれないように思えます。
・人間側が抱きやすい不安
・情報が伝わるときの構造
・映像や物語が果たしてきた役割
・例外が代表として扱われやすい認識の仕組み
こうしたものが重なり合うことで、
「臆病な性質を持つ生き物」という像と、
「恐怖の象徴としての存在」という像が、
同時に成り立ってきたのではないでしょうか。
ここで、
どちらが正しいかを決める必要はありません。
ただ、
どんな前提条件のもとで、
そのイメージが形づくられてきたのかを整理してみることで、
サメに対する認識が、
どのような構造で生まれてきたのかが、
少し見えやすくなる気がします。
その理解自体を、
ひとつの観測結果として、
そっと置いておくだけでいいのだと思っています。

