映画『教皇選挙』について④
こんにちはジャリです。
儀式は予定通り開始され、予定通り進行している。
外部で状況が変化しても、進行表は修正されていない。
参加者の動線は固定され、席順や発言の順番は保たれている。
中断を示す合図は出されず、進行役の役割も変わらない。
建物の外で異変が起きているあいだ、内部では読経が続く。
音は遮断され、視線は正面に集められている。
外部の情報は即時に共有されない。
儀式の途中で私的な判断が介入する場面は見られない。
例外を設ける権限は示されず、規定された流れが優先されている。
中断しないこと自体が、特別な判断として扱われていない。
続行は選択として提示されず、前提として維持されている。
参加者の表情や動きに変化は見られるが、
それは進行を止める理由として取り上げられない。
個別の反応は、全体の流れに回収されていく。
儀式は、外部の不確実性を内部に持ち込まない。
外の出来事と内の進行は、同時に存在しながら接続されない。
中断が起きなかったことは、決断の結果として説明されない。
説明されないまま、継続だけが事実として積み重なっていく。
予定された行為が完了するまで、
儀式は出来事よりも先に位置づけられている。
その時間帯では、
止めなかった理由より、
止まらなかった状態だけが残っている。
