映画『教皇選挙』について③
こんにちはジャリです。
集会の中で、言葉は均等に扱われていない。
同じ場で発せられていても、含まれる態度によって配置が変わっている。
確信を含んだ言葉は、はっきりとした文脈で使われる。
方向性を示し、立場を明確にし、聞き手に判断を委ねない形を取っている。
発言のあとに間が生まれにくい。
疑いを含んだ言葉は、前提を揺らす形で置かれる。
断定を避け、可能性を残したまま語られる。
その直後、場には沈黙が発生する。
確信の言葉が続く場面では、進行は滑らかに進む。
異論は出にくく、賛同の動きが先行する。
言葉が秩序を作っている状態が維持されている。
疑いの言葉が置かれた場面では、視線が移動する。
発言者ではなく、周囲の反応に注目が集まる。
言葉そのものより、配置された位置が影響を持つ。
確信の言葉は、制度と親和性が高い。
規則や手続きと結びつき、次の行動へとつながっていく。
疑いの言葉は、制度の流れから一時的に外れる。
疑いを含んだ発言は否定されない。
同時に、採用もされない。
言葉は場に残り、進行だけが先に進む。
発言の内容よりも、
どの言葉が流れを止め、
どの言葉が流れを維持するかが繰り返し確認されている。
確信と疑いは対立していない。
同じ場に置かれながら、異なる役割を与えられている。
配置された言葉の違いが、
場の進行と沈黙の比率を静かに変化させている。
