映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』について
こんにちは、ジャリです。
ある出来事が提示される。
場面は集団の中で起きているが、反応は個別に処理される。
行為が行われる場所と、行為を目撃する人数が示される。
しかし、その同時性は後続の描写に引き継がれない。
集団で起きた出来事は、すぐに個人間の関係へと縮小される。
時間の経過が早い。
行為の影響が広がる過程は描かれず、次の局面へ移行する。
摩擦や躊躇にあたる要素は挿入されない。
感情を喚起する要素が早い段階で配置される。
背景や境遇が断片的に提示され、説明として機能する。
それらは連続した因果としてではなく、場面転換の補助として用いられる。
一方、検証に関わる要素は保持されない。
疑義が示される場面は存在するが、再参照されない。
前の出来事と接続される前に、別の感情的要素で上書きされる。
伏線のように見える要素が複数提示される。
関係性、過去、第三者の立場が示されるが、
それらは後半の進行で再配置されない。
場面が進むにつれ、視点は限定されていく。
複数存在していたはずの立場は整理され、
語られる人物と語られない人物が分かれていく。
語られない側の反応は描写されない。
集団内で起きていたはずの違和感や分断は、
物語の進行から外れる。
感情の処理は完了する。
出来事は収束し、物語は終点へ向かう。
しかし、途中で提示された要素の一部は、
回収されることなく参照先を失う。
現実に近い条件が必要とされる場面でも、
それらは配置されない。
行為と結果の間に生じるはずの遅延は描かれず、
進行は途切れない。
物語は完了する。
説明は与えられるが、検証は保持されない。
提示された違和感は、問題として扱われないまま残る。

