今日は朝からすごく寒い。窓の外を見れば雪が降っています。
こんにちは、ジャリです。
SNSでは、
「子どもの頃は雪が楽しみだった」
「大人になると雪は迷惑になる」
といった言葉が並んでいます。
通勤の遅れ、交通機関の乱れ、
雪かきや転倒への注意など、
雪に伴う具体的な影響が挙げられています。
一方で、
積もった雪を見て写真を撮る人や、
久しぶりの雪景色を共有する投稿も見られます。
同じ雪という出来事に対して、
受け取られ方が分かれている状態が観測される。
子どもの頃の雪について語られるとき、
そこには
学校が休みになる可能性、
外で遊べる非日常性、
時間の余白が含まれていることが多いです。
雪は、
生活の進行を止めるものとしてではなく、
日常から外れる出来事として扱われています。
大人になってからの雪について語られるとき、
話題は
予定の遅れ、
責任の継続、
日常を維持するための負荷に移ります。
雪は、
楽しむ対象というより、
対応が必要な要素として位置づけられています。
ここで観測されるのは、
雪そのものの変化ではないです。
雪は同じ条件で降っています。
変わっているのは、
雪が置かれる生活の中での位置です。
時間に余白がある状態では、
出来事は「体験」として扱われます。
役割や予定が固定されている状態では、
同じ出来事は「影響」として扱われます。
この構造の中では、
雪が楽しいか、迷惑かは、
性質の問題として語られていません。
雪は、
そのまま存在している。
受け取られ方だけが、
立ち位置に応じて変わっています。
出来事が変わったのではなく、
出来事を受け取る側の
時間の使われ方と責任の配置が
静かに移動しています。
その結果として、
同じ雪に対して、
異なる言葉が並ぶ状態が
自然に生まれています。

