幼稚園で決まった私の序列

売れない行動を止め、
前提条件と立ち位置を修正し、
売上を取り直すための設計書。
♡観測

中央にいないという感覚

私は、中央にいたことがない。

前でもない。
真ん中でもない。

いつも、一番目立たない場所。
後ろの方の端だった。

幼稚園のときから、
なんとなく分かっていた。

明るい子は、自然に中央へ集まる。
かわいい子は、集団で前に出る。

私はそこにいなかった。

背が小さかったから、
背の順で一番前になることだけは本気で避けたかった。

一番前だけはポーズが違う。
不用意に目立ってしまう。

それくらい嫌だった。

それと同時にあの位置に立つことが、
なぜか怖かった。

いじられない側のポジション

ある日の午後、
先生が、遊びで名前を後ろから読むことがあった。

私の名前、
「かわばたちえ」は
「えちたばわか」になる。

それを面白がる男子がいた。

「エッチやん」と笑われた。

私はその時言い返せなかった。

でもあれは、弱さじゃなかった。

私は、その場の空気を読んでた。

もし、ここで笑いに乗れなければ
私は自動的に“ノリが悪い側”に行く。

仮に乗っても、
きっと中央には入れない。

どちらに転んでも、
安全ではなかった。

中央は評価が起きる場所

大阪では、
いじられることは好かれている証拠だと言われる。

でも私は、
その枠にも入れなかった。

いじっても面白くない子。
扱いづらい子。

中央に立つ子と、
同じ人種ではないと、どこかで分かっていた。

怖かったのは、中央そのものじゃない。

中央は、
評価が起きる場所だったからかもしれない。

そこに立たされた瞬間、
値踏みが始まる。

声が小さい。
ノリが悪い。
面白くない。

「価値なし」の判定が、
静かに下される気がしていた。

だから私は、立たなかった。

序列を読むという生存

これは消極性ではない。

これは、「生存」だったのだろう。

私は弱かったのではなくて、
早すぎるほど、
序列の空気を読んでいたのかもしれない。

そしてその読み癖は、
恋の場面でも静かに起動することになる。

中央に立つ=好きになられる。
好きになられる=評価される。
評価される=落とされるかもしれない。

そう学んだのは、
あの頃だったのかもしれない。